白川静


白川晩年の思想。
「漢字は(日本の)国字である」とは何だったのか。


日本は無文字社会だった。
紀元1世紀、日本に漢字が渡来した最も古い資料「金印」(漢委奴國王)。
それから600年後、「古事記」(日本人が初めて漢字を使って著した歴史書)。


日本人は、漢字を音として使うことを思いついた。「表音文字」。
そして、漢字に「訓読み」をあてるようにした。
さらに、日本人の驚くべき発明「万葉仮名」。


万葉仮名は古事記で登場し、万葉集でさらに洗練されていく。漢字と表音文字の組み合わせ。


さらに奈良時代後半、表音文字を崩した「ひらがな」が生まれる。
ひらがなは女手といって、女性によって作られた。
これは日本にしかない出来事であった。


紀貫之土佐日記
女の振りをしてこれを書いた。当時男社会は漢字表記であったので。


日本にかなが生まれたとき、漢字を「真名」(フォーマル(中国的)である)、かなを「仮名」(カジュアル(日本的)である)と呼んで分けた。
書き方を「真(楷)」「行」「草」と、だんだん崩していくように分けた。
このフォーマルからカジュアルへの変化が、日本化ということではないか。
渡来の「茶」が千利休の「侘び茶(草庵)」へと。そして「花」も。「能」も。


日本人は、漢字もそのまま使いながら、訓読み、かなを使う。独自の漢字文化を花開かせた。


近代日本で、漢字廃止論が起こる。
第二次大戦後、政府は「当用漢字」「常用漢字」として使用する漢字の目安を2000字以内に制限。字体の簡略化を行った。
かつて同じ漢字圏だった朝鮮やベトナムが、ハングルやローマ字に切り替え、中国も簡略化を推し進めていた(簡体字)。
白川は、この制限に一貫して異を唱えていた。


漢字の複雑化を無視した簡略化は、漢字本来の意味を見失うことになる、と白川は憂慮した。


白川の最も愛した言葉「遊」・・旗を掲げ外の世界へと旅をする姿から。
白川はこう記している。

遊ぶものは神である。
神のみが、遊ぶことができた。
遊は絶対の自由と、
ゆたかな想像の世界である。