知るを楽しむやなせたかし


1919年生まれ。
三越専属のデザイナーから漫画家を志し、1953年4コマ漫画「ビールの王様」の連載をきっかけに、三越を辞める。
ところが、手塚治虫の登場により、漫画は長編劇画が主流に。仕事が激減。
持ち前の器用さから、さまざまな仕事を何でもそれなりにこなした。
1960年「手のひらを太陽に」が思いがけないヒット。


自分の持ち味がわからないまま、自分の特色が出ない悩みが続く。
47歳、100万円マンガ懸賞に応募し入選。「ボオ氏」
漫画家としてやっていける手ごたえを得る。
1969年50歳、絵本「やさしいライオン」を発表。
これにより、叙情性という自分の持ち味を発見した。
「叙情性は、あらゆる芸術の根底にあるもの」


1969年アニメ「千夜一夜物語」を手塚治虫と一緒に作る機会を得る。
このとき、自己のキャラクター作りの才能を発見する。


こうしてやなせたかしの叙情性、そしてキャラクター作りの才能が結実した作品が登場する。
1973年絵本「あんぱんまん」である。
これにより、やなせたかしの個性は広く認められることとなった。
このときなんと54歳である。