NHK見える歴史から
近松門左衛門


400年の歴史を持つ人形浄瑠璃
物語を語る太夫、三味線の伴奏、人形使い


人形浄瑠璃は、300年前の江戸時代、数少ない娯楽の1つとして喜ばれた。
鎖国の国日本で、中国を舞台にしたスケールの大きな話や、歴史上の人物を題材にした、現代で言う時代劇のような内容が好まれた。


近松門左衛門は、人形浄瑠璃や歌舞伎の脚本、およそ150を書いた。


近松門左衛門は、本名を杉森信盛(すぎもりのぶもり)という。もともとは武士であった。
人形浄瑠璃が好きで、脚本を書きたいという思いがあったが、脚本家になるには武士の身分を捨てなければならなかった。
近松は考えた末、本格的に脚本の勉強を始め、曽我兄弟の仇討ち物語「世継曽我」を書き上げる。
ペンネームに近松門左衛門を使う。脚本に作者名を載せたのはこれが初めてだった。
芝居は大当たり、京都のみならず大阪でも上演された。


近松は「曽根崎心中」において、初めて「町人」を主人公にした脚本を書いた。
1703年4月7日の実際に起きた事件を題材にしている。
近松は事件を取材した。


恋人「お初」のことで主人の縁談を断っていた「徳兵衛」。
ところが徳兵衛は、主人に返さなければいけない大金を友人の「九平次」に騙し取られてしまった。
追い詰められて心中に至る2人の気持ちに寄り添いながら、近松は脚本を書いた。
事件からわずか1ヶ月後のことであった。
芝居は共感を呼び、多くの観客を集めた。


以来、近松は町人を主人公にして、「義理」と「人情」の間で喘ぐ町人の姿を映し出し、人々の共感を得た。





ジョージ・ハリスンのこの曲が好きです。


追加映像

この曲のギターはジョージだったんですね。うわ〜、魂が震える曲。