ミート・イズ・マーダー

ミート・イズ・マーダー

1985年2月 全英アルバム・チャート1位


ザ・スミス「ミート・イズ・マーダー」


先日の「ライブ・エイド」の話で、80年代を振り返った勢いでやってみます(なんといううしろ向きな情熱か(笑))。


このアルバムが発売された頃は、私がちょうど大学浪人中。友達と作曲を競ったり、20枚程度の短編小説を雑誌の公募コーナーに送ったり、歌詞を書いたりといった、いわば暗い情熱を発散させていた時期(笑)で、当時はフリーターだのニートだのというカテゴリーはなく、モラトリアムとかプー太郎とか呼ばれた、今から比べればのんきな時代でした。
そんな頃、ザ・スミスと「ミート・イズ・マーダー」に出会いました。それまでビートルズやドアーズ、RCサクセションなどのレコードを溝が擦り減るほど聴いていた私にとって、ザ・スミスは自分自身の感性に合った、しかも初めての同時代のバンドでありました。


モリッシーは1959年生まれ、イギリス、マンチェスター出身。彼が高校を卒業した年、イギリスの失業者数は35年間で最悪の103万6千人に達していた。その後彼は、なんと6年間の失業生活を送っている。ここまで来ると社会問題というより個人の問題だろうし、それができる(失業手当で生きていける)イギリスの環境だったのでしょう。その間ひたすらNMEなどの音楽雑誌にロック・レビューを送ったり、短編小説を書いたり、歌詞を書いたりして過ごしている。
ジョニー・マーは、同じくマンチェスター出身。

ストリングス、ピアノ、あらゆる楽器をこの右手で再現したかったんだ。つまりは六弦でレコードを丸々プレイしようとしたんだ。

飽くなき探究心でさまざまなロックのギター・プレイをコピーしまくり、繊細で分厚くメロウな独創的サウンドを作るに至った。
※後の英国ベスト・ソング・ライティング賞(1986年)に輝くことになるモリッシー&マー。この2人ともアイルランド移民の子供であることも興味深いので付け加えておく。
アンディ・ルークは、マーの学生時代からの友達で、ファンクのベースラインを追求し続けていた。


まぁ、こんな人たちですから、凄いものができますわな(笑)。
1曲目[THE HEADMASTER RITUAL]、ベートーヴェンの「運命」を思わせるギターの複雑な下降フレーズ。安岡章太郎の軍隊小説「遁走」を思わせるマンチェスター・スクール時代の悪しき思い出。「こんなところにいたくない、家に帰りたい」という幼児のような悲痛な叫びと、オカマがヨーデルを歌っているようなコーラス。あるいは2曲目[RUSHOLME RUFFLANS]での「あのパラシュートから飛び降りたら、私どのくらい早く死ねるかしら」という遊園地における男女の物騒な会話と青春像。ほかに、ある夜の駐車場にて「もしかして自分は薄ら笑いを浮かべながら死んで行くのではないか」という考えがふと浮かび、さらに「それが自分だけではなくほかの人々にも起こるのではないか」という妄想に発展していった怖さを淡々と歌った6曲目[THAT JOKE ISN‘T FUNNY ANYMORE]。
このモリッシーの歌にジョニー・マーの極上のポップ・センスとアンディ・ルークの第2のメロディというべきファンク・ベースラインが加わる。どうです?面白そうでしょ(笑)。


さて、この中でも傑作は[BARBARISM BEGINS AT HOME]でしょうか。ひたすら繰り返されるファンクのベース・リフと、複雑なコード進行の歌うようなギター・フレーズ。そして繰り返されるアフォリズムのようなモリッシーの自嘲的な歌詞。

いつまでも親の手を離れない少年
いつまでも親の手を離れない少女
何かを質問すると、頭をピシャリと叩かれ
何かを質問しなくても、頭をピシャリと叩かれる。

「シンプルな歌を歌う」といったスライ&ザ・ファミリー・ストーンのパロディだったんでしょうか?辛辣すぎますわ(笑)。
※歌詞カード紛失につき、私の個人訳です失礼。


モリッシー&マー 茨の同盟

モリッシー&マー 茨の同盟

十数年前に読んだ本。このためにところどころ読み返してみました。参考文献です。もう全部読む気にはなれないですね(笑)。