いやぁ、秘境が売りの観光地、秋山郷が豪雪で通行止めになったり、と思えば一気に暖かくなって雪崩を心配してみたり、さんざんでしたね。秋山郷には一回行ったことがあって、長野県なのに新潟から入っていく道が一本しかないんですよね。まさに秘境です。明治の頃の民家が当時の生活そのままに残されていて、小さい布団だとか子供の服だとか、閉ざされた冬の厳しい生活の中にはメルヘンがあるなぁ、などと感じたものです。


ところで先日、バンドの練習のあと仲間とボトム・ダラーに飲みにいったんですが、そこでなんと、「ライブ・エイド」の映像流してました(笑)。
「パソコンが無かった頃ですよ」
なんてドラムの人に言われて、そうだよなぁ、この頃パソコン無かったんだよなぁ、とひとしきり感慨深し。当時はへヴィーメタルとニュー・ウェーブが全盛だったんですね。肉体派のへヴィー・メタルは早弾きで肉体の限界に挑んでいたし(笑)、ニュー・ウェーブはまだMIDIの無い頃で、同期演奏といえばドラムスがメトロノームの電子的なパルス音を聞きながら、シーケンサーの演奏にあわせていました(笑)。いや、そういう時代だったんですよ。確か当時、ザ・スミスモリッシー渋谷陽一なんかがライブ・エイドを批判していて、私もそれで観てなかったと思います。影響されやすい年齢だったんでしょうか。偏屈な意見(w)に惑わされずに、もっと広く観ていればよかったなあ、と反省しきり。デュラン・デュラン、好きでしたよ。ニュー・ウェーブ派(w)に入っていたのかな?


そう、そう、もうひとつの流れがありました。R&Bの連中です。ブルース・ブラザースを出すのが一番ピンと来るのかな。

黒いスーツ、黒い帽子にサングラス(レイバン?)。無表情。かっこ悪さが最高にかっこよくてねえ。当時「ファンキー」なんて形容詞もはやりましたね。間寛平とか(笑)。
「カモン・アイリーン」の一発屋、ディキシーズ・ミッドナイト・ランナーズの最初の2枚なんかもアイリッシュなR&B。良い曲書く人だったんですが、偏屈だったんでしょうか(w)。


当時大学の音楽サークルはヘヴィー・メタル派とR&B派に大きく分かれていました(笑)。内向思考型が祟って、肉体派にもファンキーにもなりきれずにいたっけ。どこかいつも中途半端な、苦悩の時期でした。いまは何でもOKになりましたが。
「青春とは、偏屈の言いなのか。」
今日はこの辺でまとめてみます(笑)。


追記
あ、R&B=ブルース・ブラザースという意味ではないのであしからず。80年代にR&Bを再評価した若い連中というほどの意味です。日本ではRCサクセションがいますね。