チベット死者の書」の世界 つづき


ということで、昨日の続きです。
まずは率直な感想から。
第一部は、チベットラマ僧が10歳になるその弟子の小坊主に、ある村の裕福な商人の死を通して「死者の書」の教えを説いていく、という設定の台本になっています。


人は死ぬとバルドへ行く。そのとき死人が怖がったりしないように、お経を使って道案内をするのが、わしらの役目だ。

その道案内にしたがって、「解脱」するか、または何かの生き物に生まれ変わってくるかという選択をするのだそうですが、その商人は「解脱」に失敗したりするんですね。日ごろから死の教えの修行を積んでいないと「解脱」は難しいそうで、信仰の深いチベットでも、この商人みたいに解脱できない人もいるんだと思うとちょっと安心しました。


チベット密教でのラマ(師)と弟子の信頼関係は、日常のゆったりとした暮らしの中で次第に成熟してくる」というのも良いなぁとおもいます。どっかの新興宗教とは大違いです。

小坊主は自然とラマ僧に、自分のかかえている疑問を投げかけた。ラマと弟子の信頼に満ちた関係は、こうして次第に出来上がってくるのだ。

「この世界にある生き物で、一度たりとお前のお父さんやお母さんでなかったものはない。この牛をごらん。いまは牛だが、かつての生であの牛は、お前のお母さんだったことがある。そのときは、お前にとっても、優しくしてくれたはずだ。」

チベット仏教ではこういう瞑想を通じて、慈悲の思想を身につけさせようとする」のだそうで、こういう素朴さは良いなぁと思いました。相変わらず焼き肉は好きですが(すいません)。


さて、本題に入っていきます。
チベットの「死者の書」のような特殊な奥義書が、なぜ世界に広まったのか。それは一人のアメリカ人エバンツ・ヴェンツの功績でした。神智学に熱中していたエバンツは、チベットの叡知的な文明に興味を持ち、チベットに赴きます。彼はそこのバザーでほとんど直感的に見つけた本を翻訳しました。それが「死者の書」だったのです。この書は、心理学者ユングの注目するところとなります。そして1930年代のヨーロッパ思想に「チベット死者の書」は大きな影響を及ぼしました。


その30年後「死者の書」ブームが訪れます。それはベトナム戦争当時のアメリカの若者たちでした。

アメリカの若者たちは、自分たちを育ててきた社会の作られ方、そのものに深い疑いを抱くようになっていました。<中略>あらゆる常識にさからって、「意識の変容した状態」を、自分の内部に作り出してみようとする、危険な冒険に出かける若者たちがたくさん出現するようになったのです。
あるものは、日常的な意識の状態に変化をもたらすために、LSDのような幻覚性の化学物質に関心を持ちました。ハーバード大学で心理学を教えていたティモシー・リアリーもその一人でした。彼はこの薬物による体験を、組織的、科学的に研究しようとして、みずからが実験台になって、この化学物質の強烈な幻覚効果を体験してみました。<中略>彼らは、研究を深めていくなかで、自分たちがLSDを服用したときに体験しているものが、「チベット死者の書」に描かれているような、死後の体験と極めてよく似ている、と事実に気がついたのです。
LSDの服用は、人間に鮮やかな光や色彩のパターンの出現の体験を与えます。ティモシー・リアリーたちは、そのとき現れる光や色彩やゲシュタルトの体験が、「チベット死者の書」が解説している、死者の意識の体験するものと、不思議なほどの平行関係を持っていることを、論文のなかに書いたのです。そして、当時彼らと同じように、LSDを何度も体験していたアメリカの若者たちは、いっせいに、もう三十年も前にエバンツ・ベンツというアメリカの神智学者が翻訳しておいたこの本に、注目しました。

と、そういうことだったんですね。


ティモシー・リアリーの研究は、その後「ヴァーチャル・リアリティ」という技術思想を生み出しました。
そういえば、昔「シム・シティ」というパソコンゲームをやっていたとき、街がかなり進化してきた過程で、「ラマの像を建てる」というイべントのがあったような記憶がありますが、あれはこのことだったのでしょうか?誰か知ってる方教えてください(笑)。