ものぐさ太郎 つづき


ものぐさ太郎は「お伽草子」として室町時代や江戸時代の人たちに親しまれていた。(愛好者の階層は不明)
原典によると*1、地頭はどうもものぐさのキャラクターを面白がって、村人に太郎の食事の世話を強制したらしい。帝都から長夫調達の依頼があったときに、村人はこれ幸いとばかりに太郎を推薦し、まんまと厄介払いしたという経緯は面白い。太郎の嫁探しのエピソードや、帝に認められたのは彼の詩の才能であったことから、和歌の才能が出世とか名誉とか社会的地位に影響していたことがうかがわれる。教養至上主義とでも言えばいいのだろうか。とすると、当時の都は教養のある詩人の天下ということになる。寡頭競争があったんだろうなあ。当時は詩人も大変だったことだろう。