イマジン ジョン・レノン 特別版 [DVD]

イマジン ジョン・レノン 特別版 [DVD]

ジョン・レノン


学校ではいつも空想にふけっていたから、20年間もずっと夢うつつ状態だったわけだ。とにかく学校はつまらなかったから、夢でも見ていなければやってられなかった。でなきゃ映画でも見に行くか、そのへんを走りまわっているしかなかった。(1980年インタビューより)


12歳になる頃には自分は天才に違いないと考えていた。<中略>"自分は天才なのか、それとも頭がおかしいんだろうか。誰も自分を隔離したりしないから、狂人ではないのだろう。だとすれば自分は天才なんだ。"こんな風に僕は思っていた。(1970年インタビューより)*1

ジョンの自意識過剰ともとれる発言だが、彼は普通ではない自分をこの頃から認識していたのだろう。自分が天才か狂人か判断するのに「誰も自分を隔離したりしないから」天才だろう、というのは面白い。たしかに狂人が作る音楽は「騒音」になるだろうけど、ジョンは「音楽」になった。
「トゥモロー・ネバー・ノウズ」「アイ・アム・ザ・ウォラルス」・・、ジョンのキワモノの名曲を聞くと、もう笑うしかない。天才だって認めますよ、誰だって(笑)。


自己の追い詰められた心境を曲にしたらおもいっきりポップになっていた「HELP」など、思わぬバグな名曲も飛び出すが、ジョンがほんとうに自己の心境を純化させて曲として昇華させるのは、やはりビートルズ解散後ではないだろうか?「ジョンの魂」「イマジン」は、個人の心境を超えた、普遍的な音の心象世界を構築している。
映画「イマジン」では、ジョンの創作に対するスタンスについて語っているところがあり、興味深かった。


アルバム「イマジン」製作中のジョンは妻ヨーコと共に、お城のような豪邸に住んでいる。敷地12万坪、庭の池にはなんと島があったというから驚き。自宅のスタジオでフィル・スペクターを雇ってレコーディングしてるんだけど(どんだけカネかかるねん!)、警備員は雇わなかったその豪邸に、ある日不審な若者が入り込んでいて、ジョンはそいつと対面する。
若者は思いつめた顔でジョンに「あなたの曲は私のことを歌ってます。」って言うんですね。それに対してジョンは「曲と現実を混同するなよ、君の人生に似ているのは僕の曲だけじゃない、会ってわかったろ僕はただの男だ。」「僕は言葉で遊ぶんだ、その曲に意味などない。ディランも詩で遊んでる。言葉を選び1つに結び付けるんだ。意味はあったり無かったりだ。最新のLP(イマジンか?)に僕の現実がある。」
そして若者の「特に誰を思って歌っているのか?」という質問に対してジョンは「自分を思う、せいぜい恋の歌でヨーコだ。」「考えるのは"今朝は快便だった"とかいうことだ。"ヨーコを愛してる"とかね。自分の歌がほかの人の人生と似ていてもしかたがない。」
若者はそのとき素直にジョンの言葉を受け取ったようだ。


小説でもそうだけど、「これはオレのことだ!」って思うことはありますよ。でも、それは作品がそれだけ普遍化されているということであって、現実の作者が責任取ることではありません。作品は作者を離れてひとり立ちしてるんです。
でもジョンはその若者に対して責任を感じて、誠実に受け答えしてるんですね。なんかいい人でグッときちゃいましたけど、ジョンのそういう誠実なところがひとりの熱狂的なファンの凶弾に倒れなければならなかった伏線になっているような気がして、複雑な思いが残ります。


ビートルズアンソロジー

ビートルズアンソロジー

*1:リットーミュージックTHE BEATLESアンソロジー」より引用)