郵便配達夫シュヴァルの理想宮 (河出文庫)

郵便配達夫シュヴァルの理想宮 (河出文庫)

郵便配達夫シュヴァルの理想宮


最近読んだ本の中から、紹介します。
郵便配達夫シュヴァル。この人アンリ・ルソーとともに素朴派の代表的存在。
アンリ・ルソーは絵画ですが、こちらは建築(?付きの)。南仏のガウディ−とも呼ばれています。
以前「世界ふしぎ発見」で特集していて、興味をもち、見つけました、この文庫本。でも先日職場で、けっこう理解ある同僚がこの本を見て「やっぱ、おまえ変わってるわ」って言ってましたけど(笑)。

「私は、自分の考えをまぎらわすため、夢想の中で、想像を絶する幻の宮殿を、並みの人間の才能が思いつく限りのもの(洞窟や、塔や、庭園や、城や、美術館や彫刻)を建て、原初の時代の古い建築のすべてをよみがえらせようとしたのだった。」(シュヴァルの「ノート」より)しがない郵便配達夫が、三十三年という歳月をかけ、たった一人で築き上げた夢の宮殿。その驚くべき真実。(文庫表紙の紹介文より)

シュヴァルは1867年から29年間南仏のオートリーヴという人口1500人のちいさな村の郵便配達夫を勤めました。車も自転車もない時代、彼は農園や森の広がる田舎道をひたすら歩きます。空想癖のある人で、一日の大半を歩いている中で、考えることといえば夢の宮殿を想像することでした。当時広く読まれていた、「マガザン・ピトレスク」という絵入りの雑誌で目にした、中近東、アフリカ、アジア、オセアニア中南米のエキゾチックな挿絵。これらのイメージが、彼の想像力を刺激しました。「私のアイデアはみな夢から生まれます。」(シュヴァル)


シュヴァルがその石を発見しなかったら、彼の創造物は空想の中の産物で終わっていたことでしょう。彼が43歳のとき、つまづいた石が、彼に着想を与えます。この地方にはさまざまな石が存在している、いわば石の宝庫であると知り、それら多種多様な石を用いて、宮殿を造ろうと決意します。


宮殿用の土地を購入し、仕事が終わると深夜までかけて、手押し車で石を運ぶ毎日が続きます。村人からは変人扱いされながら、ただ一人理解があった妻の協力の下、それは造られていきました。

私の意図のため 私の体はすべてに立ち向かった
時間にも、批判にも、歳月にも
仕事が私の唯一の栄光
名誉が私の唯一の幸福だった
(シュヴァルの「ノート」より)

宮殿が形を見せ始めると、外国の訪問者などの目にとまり、いつしかシュヴァルの理想宮がこの地方の名所となっていきます。外国人たちの驚きと賛辞がシュヴァルを勇気付けました。60歳の定年退職後も建設は続けられ、完成後も一家の墓廟を建設。それが完成した2年後、シュヴァルは88年の生涯を閉じました。
シュヴァルの宮殿はアンドレ・ブルトンをはじめシュルレアリストたちに評価され、シュヴァルの死後半世紀近くたった1964年、国の重要建造物に指定されます。


歩くことは、脳の想像力をつかさどる部分を刺激するそうです。作家のフランツ・カフカは1日1時間の散歩を欠かさなかったといいますが、これは彼の創作の重要なポイントとなっていると私は考えています。
人間素直さは大事だと思います。私はここで頑固さや一途さを賛美するつもりはありません。シュヴァルはあまりにも頑固すぎましたが、それは彼の空想の造形物が、彼の頭の中で長い年月をかけて、もはや他人の意見を受け入れられないほど緻密に、かつ巨大になってしまっていた、ということではないでしょうか。彼にはもはや、それを造って見せることだけしか道が残されていなかったのだと私は想像します。